◆東京都北区「岩淵町」地名の由来は?

公開日:

更新日:2021/03/14

カテゴリー: 地域情報


今回は、東京都北区「岩淵町(いわぶちまち)」の地名の由来について
ご紹介したいと思います。

東京都北区 岩淵町 岩槻街道岩渕宿問屋場跡之碑
小山酒造跡地の「岩槻街道岩渕宿問屋場跡之碑」

岩淵の名称は古く、国立歴史民俗博物館所蔵の「六条八幡宮造営用途注文」によると、少なくとも1275年には、この地を治める岩淵氏という武士が居たことが記されています。

古くから武士は自分が治める土地の地名を苗字としていましたので、この時点では、既に岩淵という名称が存在していたことが分かります。

東京都北区 岩淵町 宝幢院前の道標
日光御成道沿いの「宝幢院前の道標」

1288年頃には水陸交通の要衝として宿が形成されており、江戸時代には「日光御成道(にっこうおなりみち)」の初宿として利用されていました。

徳川家が江戸を守るために橋の建造を禁止していた為、岩淵には、荒川を渡るための渡船場がありました。

東京都北区 岩淵町 渡船場跡

特に将軍が日光に向かう際には、船橋が架けられ、その長さは110m、幅は5.4mと、かなり大規模なものでした。

現在の「新荒川大橋」は、その渡船場の少し下流に架けられています。

地名の由来は定かではなく、一説には荒川岸に岩石の崖があったことから名が付いたとされていますが、後付けっぽい気もします。

1889年(明治22年)の市制町村制実施の際には、当初「赤羽村」という名称になる予定でしたが、地元の要望により「岩淵町」の名前が残ったという経緯があります。

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