◆東京都北区「志茂」地名の由来は?

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更新日:2021/11/18

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今回は、東京都北区「志茂」の地名の由来について、
ご紹介したいと思います。

当時、「志茂(しも)」は豊島郡岩淵領に属する村で、江戸時代には「志茂」ではなく「下」村と呼ばれていましたが、志茂の地名についても、いくつかの説があるようです。

東京都北区 志茂 街並み

1つはこの地域の中心的な場所であった岩淵宿から見て、川下にある村だから「下村」になったという説。

もう1つは、江戸の街で回収した下肥(しもごえ(人の排泄物を利用した肥料))を手広く扱っていたからという説です。

当然ですが、江戸時代は下水道が整備されていなかったので、排泄物を汲み取って処分する必要がありました。

しかし、人の排泄物は腐熟させると効率の良い肥料となるため、下肥問屋や下肥を扱う商店等があり、下肥を汲み取る権利をめぐって争いが起こる程、貴重な物資でした。

「下村」の住民は百姓でもあった為、下肥を利用して作物を育て、できあがった作物を江戸に出荷するという循環型の社会を形成していました。

東京都北区 志茂 街並み

その後、明治22年に岩淵町大字下(いわぶちまちおおあざしも)となりますが、昭和7年に東京市王子区に編入された際に「下(した)」の文字は序列の優劣を示すことが多いので良くないという理由で「大字下(おおあざしも)」の小字として使われいていた「志茂」を新しい町名に採用することになりました。

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