東京都北区「神谷」地名の由来は?

公開日:

更新日:2024/10/13

カテゴリー: 地域情報


今回は、東京都北区「神谷」の地名の由来について、
ご紹介したいと思います。

現在の「神谷(かみや)」は、江戸時代の文献に「賀仁和村」「加仁波之郷」といった記述があり、「かには(かにわ)」呼ばれていたそうです。

東京都北区 神谷 北運動場
(東京都北区立運動公園)

大正5年に出版された十方庵遊歴雑記(著:釈敬順・他)にも「荒川の長流の魚は格別として、蟹和の鯉と賞し風味抜群なりとなん」書かれており、「蟹和」とも呼ばれいたのが確認できます。

「神谷」についても地名の由来には諸説あります。

1つ目は、神谷の近くに梶原新田という地名があり、「かぢハ」と略され、それがなまって「カニハ」>「かみや」となったいう説。

2つ目は、「蟹庭(カニハ)」と記した文献もあることから、荒川の周辺(神谷のあたり)に蟹が多く生息していたからではないかという説。

最後は、王子に電車が開通した際、神谷の近くの駅名が「かみやばし」という名称に命名されたのをきっかけに「かみや」になったという説です。

ここからは、あくまで私の個人的な考えですが、「蟹和」や「蟹庭」という風に、「蟹」が漢字に含まれている記載があることから、2番目の「蟹が多く生息していたから」というのが一番しっくりくる気がします。

それに「蟹」は神様の使いとされており、土地によっては「蟹」「神」そのものとして祭っている地域もあります。

上記のような理由で転じて「蟹和」「神和」「神谷」変化したとてもおかしくないのではないでしょうか。

東京都北区 神谷 北耕地川跡
(北耕地川跡)

少なくとも昭和7年に東京市に編入されたときには「神谷町」という今の地名になっていました。

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